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「BIRD JAPAN」飛躍のスタート
朴柱奉ヘッドコーチが変えた日本の14年間を振り返る

 2004年11月1日は、飛躍し続ける「BIRD JAPAN」が誕生するきっかけになった日だ。この日、バルセロナ五輪・男子ダブルスの金メダリスト朴柱奉氏(パク・ジュボン)が、日本のナショナルチームヘッドコーチに就任。韓国出身の朴ヘッドコーチがどんな変革を日本にもたらしたか振り返る。

アテネ五輪の惨敗が招へいのきっかけに

ヘッドコーチに就任したばかりの朴柱奉コーチ。当時40歳

 きっかけは、2004年アテネ五輪の惨敗だった。日本選手団は、シングルス5選手、のべダブルス4ペアを送り込んだが、勝ち星は女子シングルスの森かおりが挙げた1勝のみに留まった。

 いまでは信じられないことだが、当時の日本は優勝候補からほど遠く、現在のワールドツアーに当たるトーナメントでは準々決勝まで進めれば「よくやった!」と評価される状況だった。

 そんな日本の起爆剤になってほしいと、招へいされたのが当時40歳だった朴柱奉氏だ。

朴柱奉ヘッドコーチ(右)は男子ダブルスで4回優勝

 朴柱奉ヘッドコーチは、14年間の現役生活で、男子ダブルスと混合ダブルスで67回の国際大会優勝を飾る偉業を成し遂げ、華麗な前衛さばきから「ダブルスの神様」という異名をとった人物だ。

 ジャパンオープンでも、2種目合わせて9回の優勝を数え、大会史上、もっとも王座を勝ち取った選手だ。1996年のアトランタ五輪後に引退したあとは、イングランド、マレーシア、母国でのコーチ業を経て、日本へやって来た。

強化体制を実業団単位から日本代表単位に

佐藤翔治は2006年、日本でのトマス杯でも活躍し大観衆を沸かせた

 就任当時、朴柱奉ヘッドコーチはこんな言葉を述べている。

 「日本選手には精神面をいったん教えれば、世界で活躍する可能性があると思います。負け続けていることもあり、必ず勝つという勝負根性が足りないのでは。技術、戦術もまだ弱い。競技中の無駄な体力消耗があり、効率的ではないようです。正確性とクオリティの高いストロークができる練習が必要です」

 そんな朴柱奉氏が当時、強く変革を求めていたのは、実業団単位の強化体制だ。

 トーナメント前に日本代表が必ず集まり、合宿するいまと違い、トマス杯やユーバー杯などを除けば、選手強化は実業団単位で行われていた。だが、「高いレベルの選手と打ち合ってこそ、競技力は磨かれる」と考えていた朴柱奉ヘッドコーチは、日本代表選手による集中的な合宿が向上に欠かせないと見ていた。

 そこで日本バドミントン協会も調整に乗り出し、翌1月9日には朴柱奉ヘッドコーチのもと、第1回日本代表選手強化合宿を実施する。すると、すぐに選手に変化が起きた。

 2005年3月の全英選手権で当時、全日本チャンピオンの佐藤翔治が、30年ぶりに男子シングルスで8強入り、さらに廣瀬栄理子も18年ぶりに女子シングルスで3位入賞を果たし、"快挙"と報じられた。

10年間で世界トップへ駆け上がった日本

2007年アジア大会で女子ダブルスの小椋/潮田は13年ぶりに銅メダルを獲得

 以来、日本は世界トップへの急階段を駆け足で上がっていく。"〇年ぶりの快挙"という言葉が報道の見出しに躍るようになると同時に、華のある小椋久美子/潮田玲子が女子ダブルスで活躍することで、マスコミの注目度も上がった。

 さらに、2008年に東京・赤羽にナショナルトレーニングセンターが完成すると、いっそう合宿は充実。同年北京五輪でメダルこそなかったが、女子ダブルスの末綱聡子/前田美順が4位とメダルに限りなく近づき、2012年ロンドン五輪は同種目で藤井瑞樹/垣岩令佳が準優勝し、とうとう初のメダルを日本にもたらした。

 さらに2016年のリオデジャネイロ五輪で、髙橋礼華/松友美佐紀が金メダル、女子シングルスの奥原希望が銅メダルに到達したのは周知の通りだ。

 なお、朴柱奉ヘッドコーチが2004年に就任した前後、日本バドミントン協会は、小学生の全国大会を増やし、ジュニアの目標を高めるとともに、当時、有望だった松友のような中学生を中国のチームへ武者修行させるなどして、未来への"種蒔き"を積極的に始めている。ジュニア強化が盛んになった最初の世代が、まさに現在29歳の髙橋と27歳の松友だ。

「これがラストチャンス」という思いで戦うBIRD JAPAN

03年、全国小学生大会6年女子シングルスで優勝した松友

 そしていま― ―。

 東京五輪をあと1年後に控え、朴柱奉ヘッドコーチは「一つでも多くのメダルを」という決意を秘めている。そのため指揮官は、18年を「五輪を意識した準備期間」とし、東京五輪出場権レース前に、ワールドツアーでシード権がとれる位置まで世界ランキングを上げることを目標に戦ってきた。

 過酷なレースを戦うにあたっては、選手たちに「後悔がないようにいつも〝これがラストチャンス〟という考えで戦ってほしい」と伝えたという。五輪行けるか否かは、レース中の1勝するかしないかにかかってくることが多く、あとになって選手が「あの準決勝で勝っておけば…」と後悔しても、オリンピック行きの切符は手に入らないからだ。

 ダイハツ・ヨネックスジャパンオープンでは、朴柱奉ヘッドコーチの指揮のもと、「これがラストチャンス」という背水の陣の思いで戦うBIRD JAPANをぜひ見てほしい。



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第16回スディルマンカップレポート

 日本がまだ手にしたことがないスディルマンカップの栄光。男女シングルス、男女ダブルス、混合ダブルスの結果によって勝敗が決まる男女混合団体戦に挑んだ日本代表は、2018年の世界国別対抗戦ユーバーカップ(女子)優勝・トマスカップ(男子)準優勝のメンバーを軸に、"史上最強"といわれる豪華布陣で中国・南寧の地に乗り込んでいた。

 日本が所属するグループ1は、12カ国・地域が4つのグループに分かれて予選リーグを実施。第1シードでグループAに入った日本は、ロシア、タイと対戦して2連勝を飾ると、その後の上位8チームによる決勝トーナメントに進出している。

 ただ、1位通過となった予選リーグの内容は、決して万全の勝利といえたわけではない。第1戦・ロシアとの対決は、男子ダブルスの遠藤大由/渡辺勇大、男子シングルスの西本拳太が黒星を喫した。第2戦では強敵タイとの試合だったが、女子シングルスの山口茜が世界ランクで下回る相手に敗戦。ライバルとされた中国は地元優勝のプレッシャーを背負いながらも、予選リーグを5−0で連勝していただけに、日本はすっきりしないベスト8入りだった。

 それでも、総合力の面で日本は、他国に比べて高い水準を誇っていた。準々決勝のマレーシア戦では、男子ダブルスの園田啓悟/嘉村健士が95分にも及ぶ接戦を制して白星をあげると、女子シングルスの奥原希望、男子シングルスの桃田賢斗の勝利で準決勝へ。2回目の決勝進出をかけたインドネシアとの対戦では、男子ダブルスの園田/嘉村は敗れたものの、山口、桃田、そして女子ダブルス世界王者&世界ランキング1位の松本麻佑/永原和可那が、貫禄を見せて決勝への切符を手にしている。

 あと一勝。4年ぶりの決勝戦進出を果たした日本にとっては、最大の難敵である中国をクリアすれば、念願のスディルマンカップが手に入る。もちろん、勝利への準備はできていたはずだった。が、結果は0−3で敗戦。初戦のロシア戦で黒星を喫していた遠藤/渡辺が中国の長身ペアにストレートで屈し、山口は陳雨菲(チェン・ユーフェイ)とのライバル対決で、ファイナル勝負の末に敗れた。頼みの綱とされた桃田も、エース石宇奇(シー・ユーチー)を相手に第1ゲームを攻め立てて奪ったが、その勢いは第2ゲームで失速。1−1で迎えた最終ゲームでは11-21で封じられ、桃田の敗戦とともに、日本の初優勝の瞬間は次回以降に持ち越しとなった。

「悔しいです。中国は大きな大会に対する気持ちと集中力が本当に強い。昨年は日本が遠征(ワールドツアーなど)で優勝することができたけど、いまは昔の強い中国がカムバックしている」

 こう振り返ったのは、日本代表の朴柱奉監督だ。実力的には中国と同等の力がありながら、がっぷり四つで組んだ戦いで完敗。連戦の疲れは互いにあったはずだが、地元ファンと一体になって挑んだ"奪還"への執念の差が、そのまま結果となって表れた。日本も決して勝機がなかったわけではない。ただ、完全アウエーを打開するのに必要な勢いを、予選リーグからうまく作れなかったことが敗因の一つにあっただろう。

 目前で初優勝が消えた日本だったが、すぐに敗戦を見つめていた。中国からの帰国会見に臨んだキャプテンの嘉村健士は、2大会前とは境遇の違う銀メダルに「ここにいる全員が悔しい思いがある」と話し、決勝戦で最後の試合となった桃田は「決勝戦の"ここ一番"という場面での中国の強さを知って、このままではダメだと感じた」と焦燥する。静かに牙を研ぎ澄ませていた王国の復活劇は、改めて多くの国々に強い危機感をもたらした。

 東京五輪2020への出場に向けた五輪レースが始まり、選手の勝利に対する意識は一段階、上がっている。どの勝利にも敗戦にも意味があり、そこに生まれた歓喜と葛藤が選手をさらなる高みへと導くわけだが、このスディルマンカップの激闘も、これから本格化するレースにつながっていくだろう。南寧の熱戦に打たれたピリオドは、次なる戦いの始まりを静かに告げている−−。



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