協賛企業の取り組み
ダイハツ工業株式会社 バドミントンへの取り組み
私たちダイハツは日本、インドネシア、マレーシアにおいて販売拠点のある自動車メーカーであり、多くのお客様に当社のクルマをお乗りいただいております。
またグループスローガン「Light You Up 」のもと、これら3カ国で大変人気の高いスポーツであるバドミントン応援活動を2017年より推進しております。
本大会を始めとして、「DAIHATSU INDONESIA MASTERS」「PERODUA MALAYSIA MASTERS presented by DAIHATSU」、そしてパラバドミントン国際大会や「ダイハツ日本障がい者バドミントン選手権大会」など、多くの国内外の大会に協賛いたしております。
併せてパラバドミントン日本代表選手の藤原大輔選手、今井大湧選手を雇用するなど、パラバドミントン選手の競技サポートにも注力しております。
そして、次世代を担うジュニアプレーヤーを応援する活動として、日本では「ダイハツ全国小学生ABCバドミントン大会」、インドネシアでは「ダイハツ・アステック・オープン」、マレーシアでは教育省と共に「BADMINTON TALENT DEVELOPMENT PROGRAMME」を開催するなど、草の根活動も3カ国で実施しております。
私たちはこれからもバドミントン応援活動を通じて、ともに暮らす人々に寄り添い、楽しみをお届けして参ります。そして、世界中でお客様の笑顔と感動を創っていきたいと考えております。
ヨネックス株式会社 ダイハツ・ヨネックスジャパンオープンの系譜
1982年1月、「ダイハツ・ヨネックスジャパンオープン」の前身となる「ヨネックスカップ・ジャパンオープン82」が兵庫県神戸市で開催された。日本バドミントン界において初となる賞金付きのオープン大会である。
当時はテニス、ゴルフの大会オープン化の流れに沿い、1979年に当時の世界統括組織である国際バドミントン連盟(IBF)がオープン大会=プロ、アマチュアの区別なく参加のできる大会を整備し、全英選手権をはじめとした主要な国際大会が相次いで賞金付きの大会に転換している最中であった。世界で年間15大会程の開催だった中に、日本で国際大会を開催することで、日本におけるバドミントンの「見るスポーツ」としての価値を高め、ひいてはバドミントン競技の地位の向上につなげる狙いがあった。
当時のヨネックス社長 米山稔は「スポーツごころを世界に」という社のスローガンのもと、全面的なバックアップを約束。メインスポンサーとして大会のサポートをすることになった。この関係は40年経った現在でも続き、現在ではシャトルコック、ネット、コートマットをはじめとする大会用品の提供、さらにはストリンギングサービスをはじめとした選手サポートまで広がりをみせ、サポートを行っている。
また「ヨネックスカップ・ジャパンオープン82」は、19の国と地域から75人の海外選手が参加するという、当時の日本バドミントン史上最大・最高の大会となり、中国選手が公式戦で初めて他のアジア、ヨーロッパの選手と対決する、ミックスダブルスが初めて正式の種目として採用されるなど、さまざまな新しい取り組みが盛り込まれた大会ともなった。
前週に日本で初めて開催された世界選手権の興奮をそのままに、大阪では1987年以来の開催となる「ダイハツ・ヨネックスジャパンオープン2022」。今年はどのようなドラマが繰り広げられるのか期待が高まっている。
ヨネックス株式会社 ダイハツ・ヨネックスジャパンオープンの舞台を足元から支える
バドミントン競技において、各種主要大会で長年にわたりその舞台をまさに足元から支えてきたのがヨネックスのコートマットだ。過去にはトマス杯・ユーバー杯(男女国別対抗戦)、スディルマン杯(男女混合国別対抗戦)や、世界選手権といった最高格のグレード1の大会でヨネックスのコートマットは使用され、ダイハツ・ヨネックスジャパンオープンの舞台でも使用される。
そもそもコートマットの大きな役割は、安全性にある。木製の床では汗やほこりで足が滑りやすくなるが、その点、コートマットはそのリスクを減らすことができ、さらに適度なクッション性で選手のパフォーマンスを向上させる。2006年のヨネックスオープンジャパンで日本人ペアとして16年ぶりのベスト4入りを果たした池田信太郎氏はコートマットを使用するメリットについて「止まりたいときにしっかり止まるだけでなく、少し遠いところに脚を出すときに、適度に滑らかにスライドする。視覚的にシャトルコックが見やすいというメリットもありますし、落ちるギリギリのところで倒れながらも取りにいけるのは安心感があるからこそ」と元トッププレーヤーならではの目線で語る。
ヨネックスのコートマットの大きな特徴は、適度なグリップ力とクッション性だ。これについて、ヨネックス製品開発部の太田慎二は「硬質塩化ビニルという硬い素材を使っている海外製に対して、ヨネックスのコートマットは軟質塩化ビニルという素材を使っているから」とその秘密を語る。汎発性に関してはシューズのクッションが衝撃吸収と反発性を両立することで蹴り出しを速くするのと同様、コートマットも反発性があることで足の動き出しがスムーズになり、選手のパフォーマンスもアップすると考えられる。「確かに、ネット前に踏み込んで戻るとき、ジャンプしたあとの動作などで反発性があるから動きやすさを感じる」と池田氏も大きく頷く。
ヨネックスのコートマットが最初に使われたのは1979年にインドネシアで開催されたトマス杯。40年間もの長きにわたり、世界のトッププレーを支えてきたコートマットが、2022年、世界が注目するハイレベルな大会を演出する。
PHOTO: Tang Shi
PHOTO: Badminton Photo
ヨネックス株式会社 歴史を変え、支持され続けるシャトルコック
高い品質と比類なき耐久性によりハイレベルのプレーを約束するヨネックスの日本製シャトルコック「トーナメント」。
なぜ「トーナメント」が世界のトップの大会で使用され続けるのか。最大の理由は、飛距離の正確性を含めた高い品質と比類なき耐久性による信頼を勝ち得ているからだ。
全英選手権は世界最古の大会として、バドミントンのオープン大会が生まれる以前から最高の格を持つ大会とされてきた。ヨネックスは1984年からその全英選手権の大会スポンサーを務めている。歴史ある大会のスポンサーとして認められた一つの理由はヨネックス製シャトルコックへの信頼であった、それ以前に使われていたメーカー製では2,000ダースのシャトルコックが消費されていたのに対して、ヨネックスのシャトルコックが使われた結果は300ダースほど。つまり、劇的にシャトルコックの交換が少なくなったということを意味している。これは、ヨネックスシャトルコックの耐久性を表すエピソードとしてよく知られるが、ヨネックスのシャトルコックが使用されたことで、もう一つの変化がバドミントンに生まれている。それまで、選手たちは一発のスマッシュでシャトルコックが潰れる前提でプレーしていたが、それだけでは勝てなくなり、長持ちするシャトルコックに合わせたプレースタイルになっていった。より仔細に説明するなら、シャトルコックへの信頼をもとに、長いラリーを耐える選手、より繊細なプレーで勝負をする選手、さらに一発で決まらない中で相手の裏をかくような創造性のあるプレーをする選手とバドミントンのプレー幅が広がっていったと考えられる。そして、それが競技としての面白みを深めていった。
トッププレーヤーは、わずか5グラムのシャトルコックの落下点に泣き、笑う。シャトルコックの飛びを信頼すればこそ、ギリギリをねらい勝負をかけていくことができるのだ。その意味では、ヨネックスのシャトルコックづくりがバドミントンの歴史を変え、プレースタイルをよりスリリングなものにしたともいえるだろう。
高い品質と耐久性を可能にするのは、羽根とコルクという天然素材で作られるシャトルコックを限界まで均一化するために行なう細やかな工程、そして職人の手と目だ。特に羽根は、長さや太さ、1羽のガチョウから実際に「トーナメント」として使える羽根はわずか2枚程度。個体差がある膨大な羽根から16枚が厳選され、1つのシャトルコックになる。その後も、一つひとつのシャトルコックにばらつきがないように、確かな目を持つ職人がいくつもの検査でチェック。これをすべて日本国内の工場で行っている。
PHOTO: Tang Shi